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デイケアホーム清掃と億劫な私

金曜日は施設外就労のデイケア施設清掃があります。なぜかそれがある週は週初めから気になってしまい、気が重くなります。実際に現場に行ってしまえば1時間ほどで終わる軽作業です。デイケア施設といっても木造の個人邸宅を少し大きくしたほどの大きさです。全部で20畳あるかどうかという所です。就労移行支援事業所(以下作業所)からは3人の利用者とスタッフが1人の合計4人でいきます。3人はそれぞれの持ち場を分担して、洗面所やトイレ、そして掃除機を受け持ちます。比較的早く終わる洗面所係りやトイレ係りが途中から掃除機担当者を助けます。物を動かして掃除機が掛けやすいようにします。

それにしても、なぜこんなに気が重いのでしょうか。体力的に落ちてきていて肉体労働をすると疲労感が大きいということもあるかもしれません。確かに掃除機がけなどはけっこうハードに感じます。物をどかしながら掃除機をかけていくのでどうしても中腰やかがむ姿勢が多くなります。息が切れてきます。自分の体力のなさを実感する瞬間です。

あと日常的に出不精になっていて、どこかに出かけること自体が億劫になっていると思います。最近お花見の時期ですがお花見ですら行く前から疲れてしまったような気になります。

他の理由を探してみると予定が入っているとそれが気になって仕方がないということがあります。1週間後、2週間後の予定がなぜか気になって仕方ありません。前日くらいに思い出してそれまでは忘れていてもよさそうなのですが私の場合ずっと覚えていて毎時・毎分カウントダウンしているような緊迫感があります。なぜこんなにも先の予定が気になってしまうのでしょうか。私の神経質な性格なのかそれとも病気のなせる業なのか。普段から確かに細かいことを気にしてしまう場面が多いと思います。物の配置も決まったところにないと落ち着かなかったり役所へ提出する書類にそろえなければならない書類がなかったりすると「まぁいいや」となかなか思えず自分は駄目な人間だと思うくらい半分パニックになります。月曜日から金曜日の掃除業務のことをカウントダウンしながら億劫になっているわけです。

この細かい(自分では細やかなと思いたいのですが)正確は探し物などをするときには役に立ち隅から隅まで探して見つけられるという特技もある反面、いつもいつも気になってしまうということも引き起こしてしまいます。

気にしなくてもいいことは忘却のかなたに葬り去ることも大切であると思います。なかなかそれができれば苦労しないのですが。この物事に対する執着性は過去勤めていた会社(病院)の記憶が今でも真新しくよみがえり後悔を繰り返していつことからもうかがえます。平成15年に退職したのですからもうそろそろ10年がたとうとしているのです。いまだに起きているときにフラッシュバックしたり寝ているときに夢に見ます。決まっていつも仕事で失敗していたり上司との葛藤の場面を夢に見ることが多いです。私の執着質というか過去の傷も相当なものなのだとわれながら感心したくなるほどです。

物事への執着質を振り払える方法は唯一幸福の科学の支部へ行くことです。支部に行くと気持ちがゆったりとして気持ちが楽になります。開放感というのでしょうか。細かなことは相変わらず気にしていますが程度が軽くなり自分を責めるほうへの自虐的なこだわりはなくなるように思います。

億劫さを解消する方法を引き続き考えてみます。億劫さが軽減されないとするなら掃除の後の楽しみを用意しておくとよいかもしれません。例えば自分にご褒美を与えることも考えられます。何か普段自分がほしがっているものを買ってもよいです。帰りになにかおししいコーヒーを飲んでたばこを吸うということは今も行っています。余談ですがこの一服が労働の後だけにおいしいんですね。コーヒーも格別です。

仕事から離れて10年がたとうとしています。今では同じ仕事に戻ることは考えていません。あの当時のことを思い返してみると今の私には到底耐えられないように思えます。本当によくやっていたと思い、自分を褒めてあげたいくらいです。あの時は毎日が緊張の連続で、時々内科の先生に精神安定剤をもらって飲んでいました。普段の緊張の度合いが大きいせいか、安定剤を飲むと筋肉に力が入らなくなり立っているのがやっとという状態になりました。ごく普通の安定剤だと思うのですが普段緊張しているのでよく効くのです。同僚には私の緊張した様子を見てアルツハイマーみたいだと描写しました。それだけ体がこわばっていたのでしょう。顔も能面のようになり体の震えもあったと思います。

清掃について書いてきましたがなぜ

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