未分類

Liberty Seminar in Tokyo Shoshin-kan

?
?
?
?
?
脱北女性が語る衝撃の真実
?
「自由であることの大切さ」

日時:6月4日 
東京正心館
講師:高政美

高さんは、東京正心館の礼拝堂に入られると、まず大法輪の前で深々と合掌、拝礼されました。

今日、この礼拝堂に最初に来られて大法輪の前に立たれた時に、高さんは突然、ボロボロと涙が止まらなくなった。

?
?

?「1963年7月18日。この日さえなければ」
この言葉から、脱北者、高政美(コ・ジョンミ)さんのお話が始まりました。

1960年大阪生まれ。63年7月18日、帰国運動で北朝鮮に渡りました。

お母さんとおばあさんは、北朝鮮への帰国を迷っていたそうですが、朝鮮総連の人が何度も家に来ては、「北朝鮮は地上の楽園。大学も無償で行けるし何もかも自由」と帰国を勧めていたそうです。

北朝鮮へ着き、船をおりた瞬間、それが嘘だとわかった。だまされた。北朝鮮の人たちの臭い、貧しいみなり、頭はふけだらけ。

高さんはこの時3歳。一緒に船に乗っていた6歳の兄が「降りたくない。このまま、この船で日本に帰してほしい」と泣きだした。
すると、「この子はちょっとおかしい」と、兄はどこかへ連れて行かれてしまった。

北朝鮮に着いた途端、私たち家族は一度も食事することもなくあっというまに家族は離され、6歳の子どもだけどこかへ連れて行かれてしまった。
精神病院に入れられた、と聞いた。

5年後、自分が8歳の時に、はじめて家族全員で兄に面会できることになった。
兄はこの時、11歳。
病院に入院していると信じていたので、母はお弁当を作っていった。

お世話になっている病院の人や、同室のほかの患者さんの分まで、たくさんお弁当を作っていった。

ところが、面会に連れて行かれたのは、コンクリートの塀に囲まれた山の中の建物。
これは病院じゃないとわかった。
まるで動物園のような、1m四方ぐらいの「おり」がたくさんあり、中にはなんと人間が入れられていた。

兄に面会に行った両親、姉、自分はいったいどこに来てしまったのか、わからなかった。
鉄格子の中に、大勢の人が入れられている。
小さなおりの中で、立つこともできないので、みんな四つん這い。
はじめは、人間ではなく動物に見えた。
よく見ると人間だった。
顔も手も真っ黒。髪は伸び放題でライオンのよう。
誰ひとりとして、表情がない。

おそろしくて、自分は母親の手をしっかり握っていた。母親も、自分の手をしっかり握りかえしていた。ブルブル震えていた。

おりの中に入れられた人間の髪をつかまえて、顔をぐいっとあげ、兄を捜している。
父が兄をみつけた。
でも、動物のようだった。立ち上がることもできない。3分ほどでその場を離れた。

その日から、家族は食事ものどを通らず、会話もなくなった。父は平壌に行った。スパイ活動に従事するためらしい。
兄が収容所で亡くなったと、父が通知書を持って家に帰ってきた。家族の目の前で、父はその通知書に火をつけて燃やし、「誰にも話してはいけない」と言った。
一度だけ面会にいけたのも、例外的で、決して人に話してはならないのだと言っていた。

この時、自分は11歳。
毎日、日本からの帰国者というだけで、壮絶ないじめを受けていた。20人ぐらいから殴られ、肌の色が見えないほどだった。
日本から持って来たきれいな服を着ているので、服をびりびりに破かれ、パンツ1枚にされてしまい、恥ずかしくて家に帰れないので、真っ暗になるまで隠れて夜になってから裸で家に帰った。

毎日、どうしたら自殺できるだろうかとそればかり考えていた。北朝鮮では、自殺すると政治犯になり、残された家族も捕まってしまう。

だから自殺もできない。
家族に迷惑をかけずに自殺する方法をずっと探していた。

壮絶ないじめを受けていることは、母に隠していたが、姉が母に相談したことで、わかってしまった。
母が学校に来た。
見ると、母が学校の先生の前に正座して、「うちの娘を許してください」と謝っている。
日本から持って来た洋服や、いろいろな物を差し出して土下座して、娘を許してくれ、いじめないでくれと頼んでいた。
先生は「こんな親だから、子どもがいじめられても当然」と言っていた。

次の日から、自分は学校に行くのをやめた。
すると、52人もの人(学校の友達など)にアパートを取り囲まれ迫害を受けた。

母は毎日、神様にお祈りしていた。
神様に守ってもらうしか、もう道がなかった。
子どもを守る言葉を書いて、「となえるだけじゃだめ。心からお願いしなければいけない」と母に言われた。
もうだめだと思った時は、この最後の3行を唱えなさいと言われて、お祈りの言葉を覚えた。

のちに脱北に失敗して刑務所に入れられた時も拷問を受けたときも、まるで死人のようになって横たわっていると、「必ず生きて、しなければいけないことがある」という声が聞こえてきた。

歯を抜かれる拷問を受けたり、手首を切って動脈を引きだして自殺をはかったこともある。肉体的には10回以上は死んだはず。なのに、どうしても死なない。不思議。

こうして日本に生きて帰ることができ、本物の人間になり、こうしてここ(東京正心館)に来られた。
祈れば必ずかなう。本当に今日、かなった。
皆さんとお会いして、これで何かが変わる気がしている。

今まで何度も死のうとしたのに、死ななかった。
神様が守ってくださって、リバティと出会った。

<脱北を決めた動機>

自分は卓球で体育大学にすすみ、体育大学の教師になった。
1995年、北朝鮮で大量の餓死者が出た。
駅を出ると、道ばたにいっぱい、飢え死にした死体が転がっていた。

体育大学の学生が、この死体の片付けを命令された。自分は体育大学の先生だったので、学生たちの監視役として死体処理の仕事をした。

自分のように政治的な行事(体育大学の学生は、公的行事で踊りや競技をする)にかかわる人間には、食事やバスなど十分な援助が与えられていたので、町でこんなに餓死者がでているなんて、まったく知らなかった。

外国人が来る地域だけでも、死体を片付けろということになり、学生に白衣を着せて医者のふりをし、死体を担架に乗せ、病人を運んでいるようにみせかけて、駅の部屋にどんどん積み重ねていった。

あまりにもいっぱい死体があるので、部屋に詰め込んだ。

死体を重ねていくと、下のほうの死体から茶色くなっていき、そのうち、人間の油がしみだしてきた。
夜になると、山に死体を埋めに行く。
人間の死体を、まるで物のように、どこの誰かもわからないのに、どんどん投げて、大きな穴に埋めた。

自分はきっと地獄に堕ちるだろうという気持ちでいっぱいになった。
学生もどんどん倒れていった。
しかし、その場を離れると政治犯になるので、離れることはできない。
学生たちは「ここで死ぬ」と言っていた。

この死体処理にかかわったことで、自分の頭がくらっと変わった。
これは絶対おかしいと思った。
この仕事のあと、食事もとれなくなり精神病院に1カ月入院。

90年代には300万人の北朝鮮人が餓死した。
日本が食糧援助しているということを、脱北してから知った。
そんなものは、一切届いていない。
それどころか、北朝鮮は韓国に米を輸出していた。
餓死者がでているということなど、ニュースでも報道しないので、北朝鮮の国民でも知らないはず。
自分も死体処理の仕事を命令されるまで、知らなかった。

川を渡って脱北し、中国で捕まる。
北朝鮮の収容所に送られ、すさまじい拷問を受ける。
顔がはれあがり、口や目や耳がどこにあるかもわからないほどだった。歯も抜かれた。

脱北して何をしようとしたのか、聞きだそうとしていた。 

早く殺してほしかった。

1976年に、父も同じような拷問を受けている。
父は半年間、1m四方の穴に閉じ込められていた。拷問の時に出され、拷問が終わるとまた穴に入れられる。
四つん這いで過ごしているうちに、手足の指先の肉が腐って落ちてしまった。
お尻の肉まで見えるようになってしまった。

20年後に、自分も同じような目にあってしまった。
でもどんなにひどい拷問を受けている時でも、死人のように横たわっている時に
「あなたは絶対しなない。 あなたはこのことを黙っていられますか。生きて話さなければならない。
 あなたには使命がある」
という声が、毎日のように聞こえてくる。

ここにいる皆さんなら、この話を信じてくださるでしょう。
刑務所の中で、そういう声が聞こえたことを。
神秘の力が、私を守ってくれた。
そうして今、ここに来ることができた。
ここにいる皆さんなら信じてくれると思う。

日本に来てはじめて、拉致被害者の存在を知った。
自分のように帰国事業で北朝鮮に渡った日本人のことは知っていたが、無理矢理拉致された人がいることは、まったく知らなかった。
なぜ日本人が拉致されて、あんな恐ろしい北朝鮮に連れて行かれるのか許せない。

なぜ日本の皆さんは、これを黙っているのか。
命がけで助けなければ。
今一番しなくてはならないことは、北朝鮮の人々に知らせること。
韓国人にも拉致被害者がいるそうだが、日本人ほどひどい扱いは受けていないらしい。
日本人が拉致されていることは、北朝鮮の国民は誰もしらないだろう。

日本人は本当は強いはず。
何かあったら心を一つにしてまとまると聞いている。

皆さんの力を信じています。何とかお願いします。

(最後にも、2回合掌拝礼して退場)

現実は、映画「クロッシング」の100倍ぐらいひどい状態だそうです。(1000倍でしょう)

There is no relationship between the contents and the photos. Images taken from Google.

-未分類