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Profile of Happy Realization Party Leader Etsuo Ishikawa

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幸福実現党 石川悦男党首ってどんな人?

石川悦男(いしかわ・えつお)プロフィール
1957年栃木県生まれ。1981年早稲田大学法学部卒。野村証券勤務を経て、1
994年幸福の科学に奉職。以後、理事長、人事局長、総本山正心館館長等を歴任。
2010年4月、幸福実現党党首に就任。座右の銘は「日々新たなり」。家族は妻と
子供3人。

「家内安全、商売繁盛」が私のモットー。つまり「国防と経済発展」です。
この4月に幸福実現党の党首に就任した、石川悦男さん。精悍なイメージがあるもの
の、素顔はスイーツ大好き、気さくで明るい紳士です。そんな石川党首に人生観、宗
教観、政治観などをお聞きしました。

*野球少年で、子供の頃から宗教的でした*

──少年時代はどんな子でした?
石川 野球少年でしたね。中学、高校と野球部で。ポジションは中学ではキャッ
チャー、高校ではサードかショート。打順はだいたい四番。野球に明け暮れてまし
た。

──信仰との出会いは?
石川 僕のおふくろが信心深かったんです。毎朝、神棚と仏壇にお供えしてお線香あ
げて、僕も毎日拝んでました。
 大学は早稲田で、栃木から東京に出てきたんですが、どうも何かが足りない。毎朝
のお祈りができなくなった。それが、なんとも空虚な感じでしたね。

── 子供の頃から、宗教的だったんですね。証券会社に入られた動機は?
石川 大学の先輩で野村証券に入っている人から呼ばれて、「そっちが呼びつけたん
ですから、責任とって、採ってくださいよ」と迫って(笑い)。それで入った。

──こわもてだったんですね。
石川 いや、きわめて真面目でした(笑)。日本を代表する証券会社に入ったので、
「とにかく日本経済を豊かにしたい」と、そればかり考えてました。

*証券マン時代に、「このままでは日本はダメになる」と思った*

──幸福の科学に出会われたきっかけは?
石川 これも真面目なんです。金融の世界は、世界とつながっているけど、1980
年代までは、日本はすごく閉鎖的でした。ところが、日本のお金が世界中を回って
いったあとに、欧米からの反撃を受けた。「自由市場主義」の名のもとに、ドルがど
んどん日本に入ってきたわけです。
 そのとき、私は「このままでは、日本はダメになる」と思って、日々、悶々として
いたんです。
──すごいですね。そこまで考えておられたんですか。
石川 一証券マンが、とにかく日本全体のことを考えていた。その中で、日本が負け
る理由がはっきり分かったんです。それは、「欧米の金融の背景にあるものは、宗教
だ」ということです。ユダヤ教とかキリスト教の価値観がバックボーンにあって、彼
らは国家、民族、宗教という人間としての威信を懸けてやってきている。
 しかし一方の日本は、大蔵省(当時)を中心に、社会主義的な統制経済を守ろうと
していた。「これでは勝てるわけがない」と、わかったんです。

──それで宗教を学ぼうと。
石川 そんなときに出会ったのが、『黄金の法』と『ノストラダムスの新予言』の二
冊です。読んで、「私の時代感覚は間違ってなかった!」と。

*リチャード・クーさんと一緒に仕事をしていた*

──ご自分の仕事を突き詰めていったときに、幸福の科学に出会われたわけですね。
石川 そのときに思ったのは、「幸福の科学の教えを学んで受け入れる以外に、この
国の経済を救うことはできない」と。
ですから、今回、党首をさせていただくに当たって、私の定点もそこにあるんです。

──リチャード・クーさんと一緒に仕事をされたとか。
石川 クーさんとはよく仕事の話をしていました。彼は世界の中央銀行を回って、す
ごい情報を持っている。でも、僕らに「トレーダーの現場の情報を教えてほしい」と
いうことで、毎週いろいろミーティングしていました。クーさんから「石川さん、な
んで野村にいるの? 外資系に行けばいいのに」と、よく言われました。

──でも、外資系に行く気はなかった?
石川 日本を守りたかったから(笑)。確かに外資系は有利な条件だし、優秀な人は
いっぱいそっちに行ってましたけどね。
 でも、とにかく社内で伝道をやりすぎて(笑)。上司に「ロンドンに行かないか」
と言われたときに、「仏陀が日本に生れている大事な時に、ロンドンに行けなんて、
あんた、おかしいんじゃないか」と言って。そしたら大阪に転勤になっちゃった。

──大阪でも、代表地区長をされていました。
石川 とにかく仕事を早く終わらせて、支部に通いつめてました。

「心の修行」で、自分を変えることができる!

──出家された後は、総本山の館長、そして宗教法人の理事長も歴任されました。
石川 1994年に出家させていただいた後、3年後ぐらいに転機がありましたね。
それまでは、在家時代に外の見える世界の知識を追い求めていたじゃないですか。そ
ういう意味での、この世的な仕事能力は高かった。ところが、先輩の修行を積んでこ
られた方とのギャップが激しくなってきたんです。「なんで話が通じないのかな
?」って。
 そのとき、ハタと思ったわけです。恥ずかしい話ですが、本当の意味での「心の修
行」に入ったのがそのころですね。毎日、「心の発見ノート」というのを、反省しな
がら書いていったんです。
ですから、本当の意味での「出家」をしたのが、1998年くらいだと思います。

──そうすると、自分が変わった?
石川 もう、百パーセント変わりましたね。心の修行に取り組むことで、「自分で自
分を変えられるんだ」と実体験したことが、一番大きかった。在家時代は、やっぱり
欲望に満たされてましたよ。だんだん自我が薄れていって、「公のために」という思
いが強くなってきました。

──体力もすごいですね。総本山の廊下で腕立て伏せしていたという目撃談がありま
す。
石川 それは北海道正心館のときかな(笑)。

──甘いものがお好きだそうで。
石川 ケーキが好物です(笑)。大の男が一人でケーキ屋に並んでいる姿は、あまり
見られたくはないですけど。

*「家内安全、商売繁盛」が私の使命*

──今回、幸福実現党党首になられるに当たっての決意は?
石川 私の魂の傾向を見ると、やっぱり「仏宝護持と経済的に支える」という二つの
使命があると思っています。わかりやすく言うと、「家内安全、商売繁盛」(笑)。
これが政治になると、「国防と経済発展」。

──きわめて明快です。
石川 今の世界の最大問題は何かというと、「経済と倫理」の問題なんです。一昨年
のサブプライム問題以降、世界中が不況になって、「金融の世界にも倫理が必要なの
ではないか」という話になっている。
 それを解決するものが、幸福の科学の「心の修行」「心の価値観」なんですよね。

──『勝海舟の一刀両断』に出てくる「A」という方が石川党首で、「人材の条件と
しての、物事の本質を見抜く、構想力、胆力。この三つを、あなたは兼ね備えてるか
もしらんな」と勝海舟さんから言われました。
石川 たまたまです。人材の条件はほかにもあるけど、たまたまその三つに当ては
まったというだけだと思っています。
──とても謙虚ですね。
石川 「心の修行」のおかげです(笑)。

*主エル・カンターレの光の一部でありたい*

──主エル・カンターレへの思いは?
石川 「主エル・カンターレの光の一部でありたい」と、それ以外にないです。

──若者へのメッセージを。
石川 本心を言うと、党首に立ったとき、「死んでもいい」と思いました。今年すで
に幸福の科学学園が開校しましたし、HS政経塾も創立されました。幸福の科学の後
を継ぐ人たちが、連綿とできたわけです。私たちの志を継いでくれる人たちができた
なら、先に立つ者はいつ死んでもいいんです。あとは、私たちを追い越してくださ
い。

──政界でのご活躍を願っております。ありがとうございました。

ミニコラム 石川党首と縁のある歴史上の人物
山名宗全って、どんな人?(1404~1473年)
室町・戦国時代の武将。応仁の乱の際、西軍の総大将として活躍。性格は直情径行で
親分肌、勇猛果敢。人に助けを求められると親身になって世話をするが、決断力があ
り、真っ正直に自分のやり方を通していく。宗教心が篤く、毘沙門天を崇拝してい
た。NHK大河ドラマ「花の乱」(1994年)では萬屋錦之介が山名宗全を演じた。新
しい時代の口火を切る、フロンティア精神にあふれた魂ではないだろうか。

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